山田ズーニー氏は、「ほぼ日刊イトイ新聞」で、「おとなの小論文教室。」を書いている方です。かつてベネッセコーポレーション(我が家もしまじろうにお世話になりました(笑)。4月からはコラショ(再笑))で小論文通信教育に携わり、その後独立。現在は講演・執筆活動のほか、総合的学習時間などの授業企画、教育ソフトのコンテンツ開発などを手がけています。「人が持つかけがえのない力を生かし、伸ばすサポートをするのがライフワーク」と、氏の略歴紹介にありました。
さて,私が手にした2冊のうちの1冊は、「伝わる・揺さぶる!文章を書く」(PHP新書)です。
まだ途中までしか読んでおりませんが、その中でとても印象に残ったものがあったのでご紹介します。それはこんな感じでした(※「」内は本からの引用)。
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あるとき山田氏は、友人との会話がなぜか行き詰ってしまったことから、その原因を考えます。そして、ご自身の発言の動機について思い巡らし、気づきます。「何を言っても、どう言っても、自慢たらしいのだ。」会話の中での自分の語りがとても自慢たらしいものだったので、会話が弾まなかったのもあたりまえだ、と。
山田氏はこう続けます。「それから、折にふれて、『私を今、この会話に向かわせている根本思想』『私を今、この仕事に向かわせている根本思想』を探るようになった。」
「根本思想は、短い文章にも、ごまかしようなく立ち表れてしまう。根本に、人に対して温かい想いを持っている人の文章は、さりげない書き方をしていても温かさが伝わってくる。また、生き方が後ろ向きな人は、何を書いても、どう書いても、やはり後ろ向きな印象が伝わってしまう。」
「エゴから発した表現が人の心を動かすことはない。そういう気持ちにとらわれた時は、書くのをやめ、少し、根本思想が変わるのを待つ。根本に人や、社会に対して、温かい、ポジティブなものがわいたら、また書きはじめる。」
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山田氏の書かれたものを読むと、氏からのメッセージは単なる「文章指南」にとどまらず、どう考えるか、どう生きるか、への問いかけに満ちていることがよくわかります。
そして,氏の指摘は私にとって耳の痛いものでもありました。
わが身を振り返れば,日記を書くにあたり,つい「こう書いたら,こんな意見が返されてくるのではないだろうか」などとあれこれ考えて,つい言葉(や理屈)を盛り込みすぎてしまうきらいがあるように思えます。そして、「人や、社会に対して、温かい、ポジティブな」気持ちで書く(※言葉を選ぶ,とかの小手先のテクニックではなく),という姿勢に ~特に「温かい」の部分に~ 乏しかったのではないか,と反省しています。
以前,「あけおメメント・モリ」(1月5日の日記)で書いた「『好き』だけではだめ」という趣旨の文章のなかで,それでもなお「『好き』を大切にすることに共感する」と書きました。共感する,その理由は,「好き」という気持ちだけが,奇跡を起こすことができる,と考えているからです。自分がしんどくなるとわかっていても他者のために力を尽くすとか,誰かに顧みられる可能性に乏しくても正しいと信じたことをやり遂げるとか,建前や理屈ではとうてい説明のつかない考え方や行動は,喜んでくれるであろう相手が「好き」,そうするのが「好き」,という気持ちだけがその原動力になり得ると信じています。
相手に伝える「ことば」もまた,「好き」(=「温かく,ポジティブ」)がその根本になければ,単純にことばの内容を相手に「告知」することはできても,相手の心にしみ込むことはできない。
「ことば」が単なる文字情報であることを超えて,他者の心に届き,その中で化学反応を起こすという“奇跡”を生じせしめたいと思うなら,語り手の「根本思想」をまず整えなければならない・・・これが今回,私が学んだことです。
また,山田氏の言う「根本思想が変わるのを『待つ』」ということにも,気づきを得ました。
人の感情は, ~特に単細胞の私の感情は~ 移ろいやすい。でも悪いときばかりでなく,良い調子のときもある。そういう時を待って,言葉を紡ぐ。「待つ」ということは,「効率」とは対極的にあるようにも思えますが,他者に何かを伝えようとするときは,押さえておくべきところを押さえないで先にばかり進もうとしても結局はムダに終わることもあって却って非効率なのかも,と思ったのでした。
ユキエ

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